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江戸~明治時代の教科書

電子展示:寺子屋の学習と往来物

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1.学習の順序

庶民の教育機関「寺子屋」は、江戸では多く「手習所[てならいじょ]」と呼び慣わされたごとく、その教育内容の中心は「手習い」(習字)であった。「手習い」には素読が伴い、さらに都市及びその近郊では算術も授けられた。また『実語教』『童子教』(図1)や教訓歌などによる道徳的な教育も施され、その他にも小謡や茶、活花[いけばな]などの芸事などを付加する場合もあった。これらの需要に応じて「往来物」も多様に展開したが、習う順序は概ね

いろは → 数字 → 漢字(単字) →漢字(熟語・成句) → 名寄 → 短句・単文 → 日用文章
(石川松太郎『藩校と寺子屋』238頁)

といったものであった。その他にも、

「もとより一人ひとりの寺子の学習過程は、地域により時代により身分、階層により性別により、さらには寺子屋の性格、師匠の力量などにより千差万別であったが、一応、共通したところだけをとりあげてみると、(1)いろは、(2)数字、(3)名頭(姓字の頭字を列記したもの)、(4)村名・国尽、(5)諸証文、(6)用文章、(7)諸往来、(8)法規類、(9)漢籍といった順序で習ったようである。しかも易から難へ、単字から短句単文を経て日用文章そして古典へという段階を踏んで、系統的、段階的に学習したようである。とはいえ、御成敗式目や五人組帳前書などの法規類、さらには四書・五経といった漢籍まで進みえたのはごくまれであったようである。」
(久保田信之『江戸時代の人づくり』74頁)
          

といった分析もある。また、しばしば引用される『寺子屋物語』の次の部分も、『名頭字』(図2)『江戸方角』(図3)『商売往来』など寺子屋での学習の必須のものを挙げている。

「・・・・・・おのおのうちとけてかたりあへる中に、いさゝか世才のあるものいひけるは、我もあげまきのときおやのいひつけにて、手習せし事ありとて名がしらと江戸方角と村の名と商売往来これでたく山かくよみけるをば、いづれもかん心して、かく別の物しりなりとぞ評しける。」
(『寺子屋物語』橘千蔭作か。乙竹岩蔵『近世庶民教育史』所収)
          

なお、『村の名』は、居住地周辺の村名を書き連ねたもので、寺子屋の師匠が寺子たちに書いて与えたものである。

本学所蔵の絵双六『春興手習出精双六』(図4)もまた学習の範囲や学習段階を知る手がかりとなるであろう。これは飛び双六ではあるが、おおむね学習の階梯に沿ってコマが進められるように構成されているようである。『名頭』『国尽』に始まり、女子用の手習い書を織りまぜながら、『商売往来』や消息類を経て『庭訓往来』に至るようになっているのである。


さらに、次の記事は江戸の教育と明治の教育とを比較して述べてあって学習段階が分かりやすく見てとれる。

「見よ明治教育令の、未行はれざる時代に成長したる人の教育を、商売往来と、実語教童子教の素読が、今の尋常小学校の卒業に均しく、進て庭訓往来真田三代記の高等小学校及び、四書三国志の中学校に入る者とては、寥々晨星の類のみ、………」
(『北溟雑誌』第55号、明治26年12月25日「野呂間形を利用せよ」好奇生、黒石陽子「佐渡における文弥浄瑠璃」『佐渡郷土文化』73 1993.10 所収)
          

明治の教育が軌道に乗り始めた頃の雑誌の記事で、「佐渡」という限定された地域のものではあるが、ごく初歩に『商売往来』『実語教・童子教』、次に『庭訓往来』や軍記、その後に漢籍という順序で学ばれたことがわかる。

今回は、これらを参考にして、寺子たちの学習階梯をできるだけ追いながら江戸時代の「往来物」をみていきたい。


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