ヨーロッパの文学 I(ドイツ文学)


 その深みにいったいどんな魔物や妖女が棲んでいるのかわからない澄みきった青い水面に、ドイツ文学を喩えることができるかもしれません。その水面には,はじめ見知らぬ姿が浮かんでいるのですが,どこからか吹いてきた風にさざ波がたち,やはり映っている樹々や雲の影とまざり合うと,その見知らぬ姿が微笑んでいるのがわかります。その微笑みは,わたしはあなたの本当の姿です,と語っているようです。すると,水面だと思っていたものが実は私たち自身の皮膚であったことに、不意に気づくのです。そのような目くるめく体験,私たちの心の奥底にあることばに表しがたいものが,突然ふしぎな生き物や人間となって現われ,そのため世界の思いがけない姿に出くわすことになる体験が,ドイツ文学の魅力です。外部と思われていたものが内部となり,内部と思われていたものが外部の世界となり、世界と私たちとが同じ糸で編まれているのではないかと、敏感にふるえ感じとる体験です。

 ドイツで生まれた教養小説と呼ばれるものも,そのような内部と外部との照らし合い、あるいは交感をぬきにしては考えられません。あたたかい魂をもつ少年が,いろいろな人々との出会いや恋愛,友人の裏切りなどを経て,いかに生きたらよいのかを考えながら社会に有用な人物へと成長していくストーリーをもつ小説を教養小説というのですが,たとえその行路が苦い挫折に終わるとしても(実はそのような結末に至ることが多いのです),それは内部と外部とをつなぐ糸を追いもとめる旅であったと考えられます。旅,あるいは夢の旅ということばこそ,じぶんの魂の声に従って生きていく者を主人公とする小説にふさわしいかもしれません。現実と呼ばれるものが,きらきら光る,細やかな夢の糸で結ばれているのかもしれないと,それらの小説はささやきかけるようです。

 しかし,内気で、音楽のように夢想にみちた文学が,ひとりよがりに傾くのは否めません。それゆえにこそカフカはきみと世界との闘いにおいて,世界を支援せよとノートに書きました。文学とはたんにきみの夢を織る作業ではありません。現実の世界を冷静に正確に見つめる眼をもち、そしてその「世界」を「支援」し続けるからこそ,夢もまた夢として生きてくるのです。そのような夢やユートピアへの憧れと、現実の苦悩とが火花を散らし、交ざり合う場所を,ドイツ文学はつくり出してきました。社会的および政治的現実への仮借ない批判は,ハインリヒ・ハイネの作品や「三文オペラ」で有名なベルトルト・ブレヒトの作品に如実にあらわれています。ハイネは軟弱な愛の詩人ではありません。ナチスの蛮行ののち,作家たちの多く,たとえばノーベル賞作家のハインリヒ・ベルや「ブリキの太鼓」のギュンター・グラスは,積極的に政治にコミットすることを倫理的要請と考えました。

 日本でよく知られているドイツの文学は,「グリム童話」やミヒァエル・エンデの「モモ」「はてしない物語」などのメルヒェン,ヴァーグナーがオペラ化した「トリスタンとイゾルデ」「パルチファル」などの中世の物語,あるいはシューマンやシューベルトが曲をつけたドイツ・ロマン派の詩人たちの詩などでしょう。三島由紀夫や辻邦夫といった小説家の眼には,「ブッテンブローク家の人々」などを書いたトーマス・マンが偉大な文学者のモデルと映ったようです。森鴎外がシュニッツラーの「みれん」「恋愛三昧」やゲーテの「ファウスト」を翻訳したことも知られています。ドイツで一番愛されている作家は「群盗」のシラーのようです。ここでは少し系統立ててドイツの小説を紹介しましょう。

(a) 教養小説のタイプ

 日本の教養小説といえば,夏目漱石の「三四郎」「それから」「門」の三部作や,志賀直哉の「暗夜行路」,山本有三の「路傍の石」,フランスではロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」,イギリスではディケンズの「ディヴィド・コッパフィールド」などが挙げられますが,このタイプの元祖とされるのが,「ミニョンの歌」で有名なゲーテの「ウィルヘルム・マイスターの徒弟時代」です。このタイプの小説を羅列してみます。

(文庫で入手できるものには*印をつけます。*岩波**新潮 ***角川)

(b)幻想小説のタイプ

 個人の魂と社会との葛藤をあつかう教養小説の反対側には,すぐれた幻想小説のタイプがあります。たとえば顕微鏡を覗くと,裸眼では見えない世界が見えてきますが,そのように日常の習慣の眼には見えない世界を日常の世界よりもリアルな世界としてさし出すのが、このタイプの小説の特徴です。

(c) 二十世紀の小説のタイプ

 二十世紀は文学の新しい実験場となりました。それは,私たちが日常使っている言葉や,個人とか自我とか呼ばれるものが、ほんとうに信じられるかどうか疑わしくなったことに由来します。世界や自己についての認識の深まりが,文学のありように変革を迫ったのです。そして,人生の多層的なありさまを表現すべく,既成の形式や約束事をのりこえた作品が書かれました。

 ここに名前をあげた作家と作品は,豊かなドイツ文学のなかのほんの一部にすぎません。詩や戯曲について殆ど触れていませんし,「賢人ナータン」のレッシングやロマン派の巨匠ジャン・パウルに,あるいは「ヴォイツェク」「レンツ」で知られる天才的な劇作家ビュヒナーや美しい散文家シュトルムにも触れていません。ほんとうは自殺した現代詩人パウル・ツェランの「死のフーガ」あたりから,この紹介文を書きはじめるべきではなかったかと思われてきます。でも,まずはどの作品からでもいい,1冊の本を手にとることから,このドイツ文学の世界へ足を踏みいれてください。あなた自身の思考と感性とが,あなたにとって最も確かな道案内です。汝自身を知れと,かつてデルフォイのアポロン神殿に刻まれていたそうですが,あなた自身の世界をひらいていくのに,このドイツ文学の世界がかならずや役立つにちがいありません。

(赤司英一郎)
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